粋な祭りは山西仁喜多津会!

山西神輿

沿革




戦後しばらく中断されていた大人神輿の渡御ですが、 昭和45年ごろ、消防団と当時の若者が中心となり、 祭りに「神輿、獅子舞」を出すことになりました。
長年、分館の片隅に追いやられていた大人神輿、 子供神輿2体を復活させました。
再発足時は「神輿守」がやっと40名集まる程度でした。
松山地方祭の秋祭りもだんだん華やかになり、 各神社では「神輿の鉢合わせ」が行われるようになりました。
山西町の氏社である「朝日八幡神社」でもその気運が盛り上がり、 当時の神輿守により「山西仁喜多津会」が発足されました。
そして、町内会の協力を得て、 平成6年9月に「新調神輿」と「神輿格納庫」が 町民の寄付で完成しました。
その後、平成9年9月に現在の神輿に改造、 本体60貫、総体100貫の勇壮たる神輿が誕生しました。
平成9年より、毎年近隣町の衣山町神輿とのかきくらべ、 さらには別府町神輿とのかきくらべが行われ 秋祭りを盛り上げています。



★主な活動★




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